
第3,5回 鹿野の謎!

こんにちは★
コメントやイイネ!ありがとうございます。
いつも返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
またじっくり返信させていただきますね^^
さて、第3回の水路の勉強と合わせて
お寺のことも少し勉強しましょうか^^
鹿野のお寺といえば、、、?
そう、鹿苑山漢陽寺。

詳細
山間地域にあることを忘れさせるほど優雅な庭で知られています。
実は中世から、鹿野にはたくさんのお寺があったようです。
記録に残っているものだけでも以下の通り。
(鹿野町教育委員会編『鹿野町の遺跡』(1993)より)
中山観音堂 1182(寿永元)
西円山岩松院(鹿野中中津丸山) 1303(嘉元元)-1305(嘉元 3)頃
月輪山善居院(鹿野上大地庵) 1321(永享元)
白雲山東林寺〔浄高院〕(鹿野中中津傳長原)(1377(永和 3)
長光山東泉院(鹿野下合の川)1406(応永13)
徳雲山医王院(鹿野下大町)1384(永徳4)
(以下創建年代不明)
東面山金松庵(鹿野下金松)
利生山光照寺(鹿野下)
小潮山極楽寺(大潮)
本生山龍雲寺(鹿野上)
利清山長久寺(鹿野上)
仏頂山元集庵〔徳音寺〕(鹿野中柏原山根)
仏頂庵善潮庵(鹿野中)
寿徳院(巣山)
玉相院(金峯)
多すぎやろ!こんな田舎……いえ静かなところに!
なぜこんなにたくさんお寺があったのかという理由は、
今なおまったくわからないそうです。
ということは、乱暴な推理も許されるということで……
1 大内重弘が京都にいるときに
臨済宗にどっぷり浸かってしまって、暴走した。
2 中世の鹿野は山口に本拠を置く大内氏の周防の守りとして重要な地域だった。
寺院はその堅牢さから要塞の役割を期待された。
3 仏教の四大聖地のひとつ、鹿野苑(ろくやおん)の連想からプチ聖地扱いされた。
※ 釈尊が悟りを開いた後、初めて説法を説いた初転法輪の地サルナート
4 斉藤先生の祖先あたりが福田さんの祖先あたりと「寺による元気創造」を企んだ
個人的には4番あたりであってほしいです。
という鹿野人メンバーの中の
歴史博士北林さんからの投稿を代筆?させていただきました^^
それにしてもお寺多いんですね。。
鹿野の七不思議のひとつに認定します。(勝手)
みなさんならどう推理しますか?★
是非是非コメントお待ちしています。
読んでくださってありがとうございました。
鹿野人 深海
コメントやイイネ!ありがとうございます。
いつも返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
またじっくり返信させていただきますね^^
さて、第3回の水路の勉強と合わせて
お寺のことも少し勉強しましょうか^^
鹿野のお寺といえば、、、?
そう、鹿苑山漢陽寺。

詳細
山間地域にあることを忘れさせるほど優雅な庭で知られています。
実は中世から、鹿野にはたくさんのお寺があったようです。
記録に残っているものだけでも以下の通り。
(鹿野町教育委員会編『鹿野町の遺跡』(1993)より)
中山観音堂 1182(寿永元)
西円山岩松院(鹿野中中津丸山) 1303(嘉元元)-1305(嘉元 3)頃
月輪山善居院(鹿野上大地庵) 1321(永享元)
白雲山東林寺〔浄高院〕(鹿野中中津傳長原)(1377(永和 3)
長光山東泉院(鹿野下合の川)1406(応永13)
徳雲山医王院(鹿野下大町)1384(永徳4)
(以下創建年代不明)
東面山金松庵(鹿野下金松)
利生山光照寺(鹿野下)
小潮山極楽寺(大潮)
本生山龍雲寺(鹿野上)
利清山長久寺(鹿野上)
仏頂山元集庵〔徳音寺〕(鹿野中柏原山根)
仏頂庵善潮庵(鹿野中)
寿徳院(巣山)
玉相院(金峯)
多すぎやろ!こんな田舎……いえ静かなところに!
なぜこんなにたくさんお寺があったのかという理由は、
今なおまったくわからないそうです。
ということは、乱暴な推理も許されるということで……
1 大内重弘が京都にいるときに
臨済宗にどっぷり浸かってしまって、暴走した。
2 中世の鹿野は山口に本拠を置く大内氏の周防の守りとして重要な地域だった。
寺院はその堅牢さから要塞の役割を期待された。
3 仏教の四大聖地のひとつ、鹿野苑(ろくやおん)の連想からプチ聖地扱いされた。
※ 釈尊が悟りを開いた後、初めて説法を説いた初転法輪の地サルナート
4 斉藤先生の祖先あたりが福田さんの祖先あたりと「寺による元気創造」を企んだ
個人的には4番あたりであってほしいです。
という鹿野人メンバーの中の
歴史博士北林さんからの投稿を代筆?させていただきました^^
それにしてもお寺多いんですね。。
鹿野の七不思議のひとつに認定します。(勝手)
みなさんならどう推理しますか?★
是非是非コメントお待ちしています。
読んでくださってありがとうございました。
鹿野人 深海
スポンサーサイト